中村たかひろについて
同志社大学の祖、新島襄は
「わが校の門をくぐりたる者は、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし。かつ少々角あるも可。奇骨あるも可。ただかの優柔不断にして案逸をむさぼり、いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢にはけっしてならぬこと。これ予の切に望み、ひとえに願うところなり」
という言葉を残しています。
私は少々角があり、奇骨なところもありますが、軟骨漢ではないと自負しております。
やりたいこと、成し遂げたいことがあるので、今日も進み続けます。
応援、宜しくお願い致します。
動物に囲まれて育った幼少期
姉と二人兄弟。しっかり者の姉に比べて落ち着きのない弟。家庭は母親の影響でミニ動物園さながらの環境。小型犬から大型犬、たくさんのネコをはじめとして、リス、グッピー、キュウカンチョウ、インコやオウム、ブンチョウ、プレーリードックまで。動物園にもよく連れて行ってもらっており、小さいころから動物大好き。母親の誕生日プレゼントにモルモットを贈ったこともある。
よく愛犬ゴンと一緒に遊びに行っていた。何かに夢中になると周りが見えなくなるタイプだが、お昼の時間になるとゴンが家に連れて帰ってきてくれていた。ザリガニ釣りや虫取りなどを楽しむ普通のやんちゃ坊主。しかし、学校生活には馴染めなかった部分もあったようで、母親は良く学校に呼び出されていた。自由奔放っぷりが手に負えなくなった担任の先生から、支援級への移動を勧められたこともある。
中学受験の失敗、恩師との出会い
姉の後に続いて中学受験に挑戦するも、抽選で落選し公立中学へ進学。このころはあまり勉強が楽しくなく、学校もさぼり勝ちに。将来のビジョンも描けない中、母から「頭を使って働くか、身体を使って働くか、どっちがいい?」と聞かれたことが転機となり、一念発起。
また、進学した工業高校で出逢った恩師から、様々な経験をさせてもらい、それまで同校で前例のなかった大学受験にチャレンジすることを決める。高校時代は大腸菌の研究で科学賞を受賞したり、先端科学技術研究所にインターンシップに行ったりと充実した学生生活を送る。有り余った体力はラグビーで消化していた。
在学中に立ち上げた教育事業
高校の先生方の予想を裏切り、同志社大学理工学部に進学。いざ学ぼうと机に向かうと、周りとの学力差に愕然とする。工業高校では必修科目でなかった教科は全く分からず、大学の授業内容どころではなかった。このままでは卒業できないと考え、チーム中村を発足。正面突破の正統派勉強法だけでなく、過去問の分析や友人の力も借りて、なんとか乗り切る。
同時にこの頃、家庭教師事業を立ち上げる。最初は自分一人が講師だったが、効率化を求めてシステム化。最終的には授業を受けながら携帯電話でスタッフを派遣するようになる。
ラグビーとアカペラサークルを掛け持ちしながら、教職の授業も取り、多忙で充実した毎日を送る。ラグビーで培った精神力と、アカペラサークルで培ったチームワーク、営業力は今も礎となっている。
ベンチャー企業とコンサルティング
大学時代の家庭教師事業の立ち上げに始まり、友人たちとベンチャーを立上げて上場企業まで成長させたり、合同会社や株式会社の設立など、常に新しいことに挑戦してきた。研究のため、海外に行った経験から、きっかけを得て、デザイナーと共同で起業したデザイン系の会社もある。その他複数の会社の取締役や大学の研究員などを経験したが、振り返ってみると自分で創業した事業の軸は常に教育事業であった。
一方、大学時代に研究対象とした中小企業のコンサルティングも続けている。また、教室運営を得意としているため、学習塾などのコンサルティングもしている。
教育に捧げた人生
様々な事業を展開してきた中でも、大学時代からずっと続けてきたのが教育事業である。家庭教師事業から学習塾、オンライン塾、個別指導塾、形を変えながらも常に考えてきたのは、教育格差の是正であり、一生涯学び続けられる自立学習力の習得である。20年以上前、ここ大和郡山市に学習塾を立ち上げたのも、奈良県の教育格差を是正したいとの思いからである。塾らしくない塾を目指して、ただ目先の成績を上げる学習方法ではなく、自立学習が身につくよう指導してきた。今では、この地域の教育環境について多少なりとも底上げをできたと自負している。
私は学校が全てだとは思わない。実際に学校には通えていないが、塾には来られる生徒もたくさんいる。しかし、未だ学歴社会がなかなか変わらない日本では、学校に行けないことが不利になることもある。私が子どもたちに伝えたいことは、学校で勉強することが素晴らしいのではなく、学ぶこと自体の楽しみ、新たなことを知る喜び、考える面白さ、など、自ら学びたいと思うきっかけがこの世には溢れており、そもそも人間はその学びへの欲求があると言うことである。一人でも多くの生徒に学びの楽しさを伝え、どんな状況でも思考停止に陥らず、自ら考え、行動し、より豊かな人生を歩んでいってほしいと思う。
生涯の有無で何かを制限されない社会へ
学習塾の運営の中で、発達障害の生徒に出逢い、彼らの可能性に驚かされた。発達障害は勉強ができないのではなく、多数派の教育方法では伸びないだけなのではないか、と思い、研究を始めた。そして、彼らに合った学習方法を提供することで、十分に学習効果が上がることを突き止めた。そして、同時に障害のある生徒を取り巻く教育環境が整っていないことに気づき、何か私にできることはないのかと模索し始めた。発達障害の生徒は教育次第でまだまだ可能性を広げられるのに、今の制度は障害というラベルを付け、セパレートして、学習の機会を十分に与えていないのではないかと考えている。
そこで、ひとつのチャレンジとして、発達障害のある生徒のための学習支援システムを使った学習支援を広めるため、放課後等デイサービス(障害児通所支援事業所)を開所した。ここでの生徒は、自ら学ぶことを楽しみ、結果として成績も上がっている。私が、最終的に目指しているのは障害の有無に捉われず、同じ教室で一緒に学べるインクルーシブ教育であるため、障害児だけを対象にする事業を100%推奨しているわけではない。しかし、彼らの教育環境を少しでも改善し、彼らの可能性を世の中に知らしめるため、まずはできることから始めてみようと思っている。